仏教講座(その二百五)
原文。爾(そ)の時、大地は六種に振動して、延命菩薩、地より出現し、右の膝を曲げ、臂(ひじ)を立てて掌(たなごころ)に耳を承(う)け、左の膝を申(の)べ下げ、手に錫杖を持って、仏に白(もう)して言(もう)さく。我れ、毎日の晨朝(じんちょう)に、諸の定に入り、諸の地獄に入りて苦を離れしめ、無仏の世界に衆生を度し、今世後世にも能(よ)く引導せん。若し仏の滅後の一切の男女、我が福を得んと欲せば、日の凶なるを問はず、不浄を論ぜず、父母に孝養し、師長に奉事し、言色常に和(やわら)かにして、人民を抂(みだ)さず、生命を断ぜず、邪淫を犯さずして、若しは十斎日、若しは六斎日、若しは十八日、若しは二十四日、但、自心を正しくして、此の経を転読し、我が名を称さん者は、我れ、法眼の威神力を以っての故に、即ち業報を転じて現の果を得せしめ、無限の罪を除きて、当(まさ)に菩提を得しむべし。
訳。その時、大地が六種の揺れ方をして、延命菩薩が右の膝を曲げ、左の臂(ひじ)を立てて、掌は耳に向き合わせ、左の膝を下に伸ばし、手に錫杖を持ったお姿で大地の中から現われて仏様に申し上げました。
私は、毎日夜明け頃に、種々の瞑想に入って、色々な地獄に赴き、(地獄の住人を)苦しみから救い、お釈迦様滅後、弥勒様が出現するまでの仏のいない娑婆世界で人々を済度して、この世をかけて来世まで教え導きます。若し仏様の入滅下の後に、私の功徳、福徳を得たいと願うならば、日の吉凶、身のけがれにとらわれずに父母に孝養をつくし、先生や年長者にお仕えして、言葉使いや振る舞いも優しくして、人々をしいたげることなく、生命を大切にし、不正な男女関係をすることなく、身口意の三業を十斎日(月の一日、八日、十四日、十五日、十八日、二十三日、二十四日、二十八日、二十九日、三十日)か、六斎日(八、十四、十五、二十三、二十九、三十日)、或いは十八日、二十四日に身口意の三業を清らかに慎み、自らの心を正しくして、このお経を読経し、私の名前を唱えたものは、私の菩薩の持つ智恵の眼の威光によって、悪業の報いを取り除いて幸せを与え、無間地獄に堕ちる罪を除いて、遂には覚りの智恵を得させます。
お地蔵様の本拠は本来、須弥山を囲む七金山の一つ伽羅陀山(からだせん)ですが、大地からわき上がるモチーフは、居られるのは地の底のイメージです。つまり、無間地獄に常住しておられて六道の衆生を済度すると言う事をにおわせていますね。一切衆生の苦しみを代わりに受けますが、破傷することのないスーパーマンでしょうね。
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