本日は三月お彼岸縁日祭にご参拝誠にご苦労様でございます。 今日はあいにくの雨でございますが、段々暖かい日々も増えてまいりまして、春めいた日々が近づいてきた今日この頃でございます。 先日、私が勤務しております工業高校で卒業式がございました。 卒業式を通して感じました “急がば回れ ”と言う諺について少しお話をさせて頂きたいと思う次第でございます。 この “急がば回れ ”と言う諺には諸説がございますが、室町時代の連歌師宗長という方が詠まれました “もののふの 矢橋の舟は速くとも 急 がば回れ瀬田の長橋 ”がその由来になっているようでございます。 昔、東国から都に参ります際には琵琶湖の南岸を通って都に上っていたそうでございますが、その最短経路と言うのが琵琶湖の矢橋の渡しから舟に乗って行く道だったそうでございますが、比叡山から吹き下ろす突風の関係で船が難破してしまったり、思わぬ所に流されてしまったりで、結局は多少遠回りでございますが、瀬田と言うところの橋を渡って行った方が安全で確実に都につくことから、物事を達成させる為には近くて簡単だと思えるような道のりを選ぶよりも、多少遠回りをしても安全な道のりを選んだ方が、結局確実で早いと言うような諺になったという事でございます。 どうして「急がば回れ」と言うような感想を持ったかと申しますと、卒業式と言いますのは、色々な方が卒業生に向けて餞贐(はなむけ-馬の鼻むけの略。旅立ちや門出に際して、激励や祝いの気持ちを込めて、金品・詩歌・挨拶の言葉などを贈ること)の言葉を贈る訳でございますが、式の後、教室へ戻って、たくさんの先生方が生徒に対して、最後のはなむけの言葉を贈ります。 そうしたはなむけの言葉を一つ一つ聞いておりますと、毎年素晴らしいお話をしていらっしゃるなと思うと同時に、本当に話が上手だなという方がおられます。 こうした方に事前にどの様な気持ちでお話しをされているのか聞く機会がありましたものですから、お聞きしますと、日々の生活の中で色々感動したこと、色々な書物に触れること、テレビでもそうですが、色々なことで触れたことを確りと胸の中に一つ一つ納めておいて必要があれば、それに対して調べてみたりして、胸に積んでいるものを、場面に応じて人に話しをするという事で、皆様同じような形で準備しておられる訳でございます。 日々の研鑽(けんさん)。自分を高めるための努力が必要だなと思う反面、人にうまく伝える為に、話の内容だけではなく話し方自体にこだわりを持っておられる方もいらっしゃいました。 例えば、ラジオ放送等でアナウンサーが話しているのを聞いて、なる程、この様な表現を使うとすごくわかり易いなと感じる事を趣味半分、勉強半分で聞いておられる方もいらっしゃいました。 また、ある方は二、三人の子供が仲間内で話すお喋り言葉と人と話をする時の話し言葉は違うとおっしゃるので、どういうことかと尋ねると、友達同士で話しをしている時に、言葉で表現できなくても、“あれあれ、あれたい。”と言うと、友達が察してくれて、あっ、あれの事だろうと言う事で会話が成り立つという事がありますが、人に話をする時では、それでは伝わりません。 頭の中にはきちんとイメージとしてあるのですが、それを言葉にするというのは非常に難しいというようなお話しをしておられました。 その方は本で読んでいたことを実践していらっしゃるそうですが、眼で見た現象と言うのを頭の中で実況中継してみると言う練習をしているのだそうです。 例えば “車で信号待ちをしている際に信号が点滅信号になりました。子供が向こうから走ってきています。間に合うのかなあ。しかし、同じ様に急いで走ってきている車がいます。車がちゃんと歩行者に気付いて止まってくれればいいのですが、大丈夫でしょうか ? ”と言うようなこと。 眼で見た場面を頭の中で言葉にしてみるそうでございます。 実際にやって見ると、現実の場面、場面と言うのは過ぎ去るのが速くて、自分の頭の中では、こういったことだとわかっているのですが、それを言葉にするのは非常に難しいなと言うことを痛感いたしました。 そう言った努力をしておられると言う事を聞いて、ああ、なる程で、ただ単純に話しが好きで話しが上手と言うわけではなく、やはり色々な努力をしていらっしゃるのだなあ、と痛感したわけでございます。 勿論(もちろん)、何も考えていないよ。何時もその場、その場で話をしているよと言う方においても、すごく上手だなと言う方もいらっしゃるわけでございます。 ただ、そういった方々は自分で努力している感覚もなしに、やはり常日頃の生活でそう言った修練をしていらっしゃるのではないかと言う風に想像したわけでございます。 情報社会において、例えば自分がわからないことがあると、本屋さんに行ったり、携帯電話で人に聞いてみるとか、インターネットで検索するとかして、色々な情報を得ることができます。 しかし、ただ単にその結果、得たものが、単純に回答と考えても、自分に身についたかと言うと、そういうわけではないと言う事を考えたわけでございます。 そう言ったことを常に鍛練したり、色々な場所で実践することによって、それぞれきちんと結果をもたらしているんだ。 どうしても答えが欲しいと言う事で、短絡的に人から話しを聞いて、ああなるほど、これで出来るかと言うと、そういう問題ではなくて、やはりそれぞれの物事に対して実際に自分が確りと精進をして身につけて行かなければならない。 ですからやはり簡単に答えを求めようとしても簡単に求められるわけではないんだと、自分の身につける為には一つずつ積み重ねていかなければならない。 “急がば回れ ”、の精神だなと言う風にこの様に感じて、その諺を痛感したわけでございます。 やはり色々な意味で、仏道に致しましても日々菩薩行である六波羅蜜である、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智恵のお行は、日々の忙しさにかまけて実践することが困難ですが、実際仏道を成ぜんとする為には、そうした一つ一つの徳目を日々の積み重ねて行かなければならないと自らを省みて生徒たちにも “急がば回れ ”の精神で頑張ってもらいたいと感じた次第でございました。 皆様もこの此岸と彼岸が近づくお彼岸の時期でございます。 六波羅蜜と言う事を今一度心の中に思い出しまして、それぞれの日々の生活の中で精進して頂ければと、この様に思う次第でございます。 本日は『春のお彼岸ご縁日祭』にご参拝頂き誠にご苦労様でございました。